大学芋の由来と東大生の秘話!甘い蜜に隠された大正時代の真相
大学 芋 由来を探る旅は、東京の古き良き街並みへと私たちを誘う。外側はカリッと香ばしい飴でコーティングされ、ひとくち噛めばホクホクとした甘みが口いっぱいに広がる。誰もが幼少期から親しんできたこの素朴な味覚は、長年にわたり日本の食卓や街角の専門店で愛され続けてきた。
黄金色の蜜を纏った姿を見つめていると、ふと素朴な疑問が湧き上がってくる。なぜただの芋料理に「大学」という大層な名が冠されているのだろうか。実のところ大学 芋 由来を巡る歴史には、大正時代から続く若者たちの情熱と、当時の厳しい社会情勢が深く絡み合っているのだ。単なる都市伝説では片付けられない、深遠な歴史の扉を紐解いてみよう。
東京大学の学生が広めた?甘い蜜の裏に潜む大正時代の秘話
名前の由来として最も有力視されているのが、大正時代から昭和初期にかけて東京大学(当時の東京帝国大学)の学生たちが好んで食べていたという説だ。
当時、赤門のすぐ近くにあった蜜芋の屋台や食堂が、油で揚げた芋に甘いシロップを絡めた料理を売り出した。これが「安くて旨く、お腹にたまる」と学内で爆発的な人気を博したという。学費や生活費の工面に苦しんでいた学生たちが、手軽なエネルギー補給源としてこぞって買い求めた。また一説には、資金難に陥った東大生が自らこの調理芋を作り、街頭で販売して学費を稼いでいたとも囁かれている。真偽のほどは蜜の奥に隠されているが、学問の最高峰を目指す若者たちの青春と切実な生活が、この名を生み出した背景にあることは間違いない。
神田神保町の古書店街で誕生?「三ツ矢」説と考現学の祖・今和次郎
発祥の地を巡るもう一つの重要な舞台が、古本屋が立ち並ぶ学生の街、神田神保町だ。
大正時代末期、この神田神保町に存在した「三ツ矢」という芋焼き店が、揚げた芋に蜜を絡めた商品を売り出したのが始まりという記録が残されている。当時の風俗や都市生活を独自の視点から観察・記録した「考現学」の創始者として知られる今和次郎も、当時の若者文化や街頭の食生活を調査する中で、こうした学生街のファストフードに着目していた。
今和次郎が遺したスケッチや都市風俗の記録を紐解くと、当時の学生たちが本を片手に路地裏で芋を頬張る姿が見えてくる。神田神保町という知の集積地と、そこに集う学生たちの旺盛な食欲が交差した場所に、大学芋の源流が存在していたのだ。
貧乏学生を救った高カロリー食!さつまいもが支えた青春時代
なぜ他の野菜ではなく、さつまいもだったのか。そこには当時の食材事情と栄養学的な合理性が存在する。
大正から昭和初期にかけての日本は、急激な近代化の波と共に景気の変動が激しく、貧しい学生にとって日々の食事は死活問題だった。安価で手に入るさつまいもは、ビタミンや食物繊維が豊富な上に腹持ちが良い。それを油で揚げて砂糖蜜を纏わせることで、手軽に大量のカロリーを摂取できる極上の「ハイカロリー・ファストフード」へと変身したのだ。
机に向かって夜遅くまで勉強に励む頭脳労働者にとって、脳のエネルギー源となる糖分と、満足感を与える油脂の組み合わせは、まさに最高の活力源だったといえる。
『孤独のグルメ』やTVerで再ブレイク!令和に加速するレトロスイーツ熱
時代を超えて受け継がれてきたこの味が、今再び脚光を浴びている。きっかけはメディアやSNSによる再評価だ。
人気ドラマ『孤独のグルメ』で主人公がふらりと立ち寄った甘味処の大学芋を美味しそうに頬張るシーンが話題となり、見逃し配信サービス「TVer」などを通じて若い世代へと拡散。昭和レトロな雰囲気を残す専門店の前には、動画を見た若い世代や外国人観光客が長い列を作る光景が日常となった。
外側のカリッとした食感と、中の甘くホクホクとしたギャップ。SNS映えする艶やかなビジュアルも相まって、古き良きファストフードは今や最新のトレンドスイーツとして消費されている。
農林水産省のデータベースにも刻まれた味!進化する和菓子業界の新潮流
単なる街角のおやつにとどまらず、いまや日本の食文化史を代表する存在として公的にも認められている。
農林水産省が推進する食文化の継承事業や地域特産品データベースにおいても、大学芋は東京をはじめとする関東地方の歴史ある郷土の味として記録されている。古くから根付く食の知恵が、公的な食文化遺産としても評価されている証拠だ。
これに伴い、和菓子業界でも新たな動きが加速している。「紅はるか」や「シルクスイート」といった高糖度のブランド品種を使用した極上大学芋や、冷凍してもカリカリ感が失われない新技術を用いた商品など、進化は止まらない。大正時代の貧乏学生を支えた素朴な一品は、伝統を守りながらも時代に合わせて姿を変え、未来へと味わい継がれていく。 (出典: 大学 芋 由来(Yahoo!ニュース))